上方歌舞伎の重厚な屋台骨として、関西のみならず日本全国の歌舞伎ファンを魅了し続けた名優・五代目片岡我當(かたおか がとう)。父である十三代目片岡仁左衛門の至高の芸を受け継ぎ、弟の片岡秀太郎、十五代目片岡仁左衛門とともに「松嶋屋三兄弟」として一時代を築き上げました。
昭和から平成、令和へと激動の時代を駆け抜けた我當丈ですが、近年はその舞台姿を見かける機会が減り、「現在の様子はどうなっているのか」「逝去の知らせを聞いたが死因は何だったのか」と気にかける声が後を絶ちません。名門・松嶋屋の長男として上方歌舞伎の復興に命を燃やした名優の最期、そして後世へと受け継がれる芸の神髄を、歌舞伎担当記者の視点から余すところなく紐解きます。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:五代目片岡我當は2023年5月23日に老衰のため88歳で逝去。療養生活を送りながら静かに人生の幕を下ろした。
- 要点2:弟の二代目秀太郎(2021年没)に続く旅立ちとなり、「松嶋屋三兄弟」の絆と上方歌舞伎の伝統は十五代目仁左衛門と息子・片岡進之介ら次世代へ継承された。
- 要点3:『忠臣蔵』の由良之助や『菅原伝授手習鑑』の源蔵など、情味と風格を兼ね備えた数々の当たり役は今なお演劇史に燦然と輝いている。
【片岡我當の現在】2023年の逝去理由と死因の真相・晩年の足跡
検索窓に「片岡我當 現在」と打ち込むファンの多くが気に掛けているのが、近年の活動状況と訃報の詳細です。結論からお伝えすると、五代目片岡我當丈は2023年5月23日午前7時48分、老衰のため大阪府内の病院で息を引き取りました。享年88歳でした。
晩年の我當丈は、体調不良や持病の療養を理由に舞台から遠ざかっていました。2010年代後半からは体力の衰えが隠せず、車椅子での生活や療養を余儀なくされる時期が続いていたものの、上方歌舞伎への執念が途切れることはありませんでした。関係者によると、舞台復帰への情熱を失うことなくリハビリに励んでいましたが、最後は家族に見守られながら眠るように静かに旅立ったと伝えられています。
松竹から正式に発表された追悼ニュースでは、死因について特定の重篤な急性疾患ではなく「老衰」と発表されました。生涯を芸道に捧げ、天寿を全うした大往生であり、歌舞伎界のみならず多くの演劇ファンがその偉大な功績を偲び、深い哀悼の意を捧げました。
【松嶋屋の家系図】父・十三代目仁左衛門と名門を支えた血脈の絆
片岡我當の名を語る上で欠かせないのが、歌舞伎界屈指の名門である屋号「松嶋屋」の厳格かつ温かな血脈です。上方歌舞伎の復興と継承という重責を背負った片岡家の家系図を振り返ると、彼らが日本の伝統芸能に果たした役割の大きさが浮き彫りになります。
父は「不世出の名優」「上方歌舞伎の至宝」と称えられた十三代目片岡仁左衛門。戦後、上方歌舞伎が衰退の危機に瀕した際、私財を投げ打って自主公演「仁左衛門歌舞伎」を立ち上げ、上方独自の柔らかみやリアリズムを守り抜いた伝説的な人物です。その長男として生まれたのが五代目片岡我當(本名:片岡秀公)でした。
十三代目仁左衛門の薫陶を受けた子どもたちは、長男・我當、次男・二代目片岡秀太郎、三男・十五代目片岡仁左衛門(旧名・片岡孝夫)の三兄弟。長男の我當丈がどっしりとした風格で一門の屋台骨となり、次男の秀太郎丈がたおやかな女方として脇を固め、三男の孝夫(現・仁左衛門)丈が華やかな立役として絶大な人気を誇るという、まさに奇跡的なバランスで松嶋屋を牽引しました。
【三兄弟の絆】弟・片岡秀太郎との別れ、そして十五代目仁左衛門へ託した思い
松嶋屋三兄弟の結束は、歌舞伎界でも類を見ないほど強固なものでした。東京の歌舞伎界が華やかに脚光を浴びる中、関西の劇場文化を守り立てるため、兄弟は常に手を取り合い、互いの芸を高め合ってきました。
しかし、時の流れは残酷な別れをもたらします。2021年5月、女方として上方情緒を体現し人間国宝でもあった次男の二代目片岡秀太郎が79歳で逝去。愛する弟の早すぎる死は、療養中だった我當丈にとっても計り知れない衝撃と悲しみを与えました。秀太郎丈の一周忌を終え、まるで後を追うかのようにその2年後に我當丈も旅立つこととなります。
三兄弟の中でただ一人残された三男・十五代目片岡仁左衛門は、兄たちの相次ぐ旅立ちに際し、深い悲痛を滲ませながらも「兄たちが守り抜いてきた上方歌舞伎の精神を自分が守り続けなければならない」という強い覚悟を語っています。兄弟でありながらライバル、そして誰よりも信頼し合う同志として歩んだ三人の物語は、上方歌舞伎の歴史に永遠に刻まれています。
【五代目片岡我當の経歴】上方歌舞伎に捧げた生涯と圧倒的な当たり役
1935年(昭和10年)2月11日、十三代目仁左衛門の長男として大阪に生まれた五代目我當丈。1940年に初舞台を踏み、1948年に本名でもある「片岡秀公」を名乗って本格的な修行を重ねました。そして1969年11月、歌舞伎座において五代目片岡我當を襲名します。
我當丈の真骨頂は、骨太で重厚感あふれる「実事(じつごと)」と、どこか人間味のにじみ出る「和事(わごと)」の巧みな演じ分けにありました。派手な立ち回りや見栄えだけでなく、台詞の一言ひとことに人物の人生を背負わせるその芸風は、通好みのファンから絶大な支持を集めました。
数多くの舞台の中でも、特に評価が高い代表的な当たり役は以下の通りです。
- 『仮名手本忠臣蔵』大星由良之助/大星力弥/原郷右衛門:国家老としての圧倒的な重みと悲哀を滲ませる風格は随一でした。
- 『菅原伝授手習鑑』武部源蔵/白太夫:源蔵の苦渋に満ちた決断や、白太夫の素朴な情愛を血の通った演技で見事に表現。
- 『女殺油地獄』森右衛門:上方狂言特有の生々しい人間関係を描き出し、兄としての葛藤をリアルに体現。
- 『夏祭浪花鑑』三河屋義平次:上方の泥臭さと凄みを併せ持つ悪役を見事に演じ切り、舞台を引き締めました。
時代物から世話物まで、舞台に登場するだけで場の空気が引き締まる重厚な存在感は、上方歌舞伎の真髄そのものでした。
【息子・片岡進之介との秘話】親子で紡いだ松嶋屋の芸と次世代への継承
名優としての顔の一方で、家庭人としての我當丈は情に厚く、後進の育成に人一倍情熱を注いだ指導者でもありました。その血と情熱を最も近くで受け継いだのが、長男である片岡進之介です。
1967年生まれの片岡進之介は、父や叔父たちに見守られながら歌舞伎の世界へ進出。端正な顔立ちと伸びやかな芸風で頭角を現し、歌舞伎の舞台のみならず現代劇やテレビドラマでも幅広く活躍してきました。厳しい芸道の世界において、我當丈は息子に対して安易な妥協を許さず、徹底して基礎と上方狂言の心を叩き込んだと言われています。
進之介は父の晩年、療養生活を献身的に支え続けました。父の背中を見つめ続けた日々について、後年の取材で「父はどんなに体が辛くても、最後まで芸に対する厳しさと誇りを失わなかった」と述懐しています。現在、松嶋屋の未来は進之介をはじめ、秀太郎の養子である片岡愛之助、仁左衛門の長男である片岡孝太郎、そして孫世代の片岡千之助らへと確実に引き継がれています。
【片岡 我 當】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:片岡我當(五代目)の死因は何でしたか?
A1:公式に発表された死因は「老衰」です。2023年5月23日に大阪府内の病院で、88歳で静かに息を引き取りました。晩年は持病の療養やリハビリを続けながら穏やかに過ごしていました。
Q2:松嶋屋三兄弟とは誰のことですか?
A2:十三代目片岡仁左衛門の息子たちである、長男・五代目片岡我當、次男・二代目片岡秀太郎、三男・十五代目片岡仁左衛門の3人を指します。戦後上方歌舞伎の復興と隆盛を支えた伝説的な兄弟です。
Q3:片岡我當の息子は誰ですか?歌舞伎役者を続けていますか?
A3:長男は歌舞伎役者・俳優の片岡進之介です。歌舞伎の舞台で松嶋屋の芸を受け継ぎながら、映像作品など多彩なフィールドで現在も精力的に活動しています。
Q4:片岡我當の後継者や襲名の予定はありますか?
A4:現在のところ「六代目片岡我當」の襲名に関する正式な発表はありません。長男の片岡進之介をはじめとする一門の動向が注目されていますが、伝統的な大名跡であるため、しかるべき節目に検討されると見られています。
まとめ:上方歌舞伎の魂を未来へ刻み続ける松嶋屋の航路
上方歌舞伎のどっしりとした大黒柱として、生涯をかけて伝統芸能の真髄を体現し続けた五代目片岡我當。彼が舞台上に残した重厚な台詞回し、温かみのある佇まい、そして役の芯を捉えるリアリズムは、今も多くの演劇関係者やファンの胸に深く刻み込まれています。
弟・秀太郎丈とともに空へと還り、「三兄弟」の時代はひとつの区切りを迎えました。しかし、残された十五代目片岡仁左衛門の孤軍奮闘、そして片岡進之介、片岡愛之助、片岡孝太郎ら次世代の役者たちがその遺志を継ぎ、上方歌舞伎の灯火を絶やすことなく燃やし続けています。我當丈が命を削って守り抜いた松嶋屋の魂は、これからも日本の劇場文化の中で燦然と輝き続けるはずです。 (出典: 片岡 我 當(Yahoo!ニュース))